姉妹都市「ダボリージョン」の“今”を派遣団の『副団長T』がお伝えします。 01_姉妹都市と中・高校生ダボ派遣事業
美濃加茂市はオーストラリアのダボリージョンと姉妹都市提携をしています。
提携からすでに30年以上が経過していますが、知らない人も多いのではないでしょうか。
今回は、そんな姉妹都市ダボリージョンを深堀りしようと、派遣団『副団長T』(本記事最後に説明あり)が紹介していこうと思います。
姉妹都市の始まり
時代背景
1980年代後半、全国の多くの地方自治体は「国際交流」を促進するべく、姉妹都市の選定・提携を進めてきました。
美濃加茂市でも、昭和62年(1987年)に、この国際化時代に対応するまちづくりを目指すことが重要課題の1つとして、姉妹都市の選定が開始されました。
なぜダボリージョンだったのか。
姉妹都市を選定するにあたり、選定基準を設けました。それは、青少年が国際化社会に対応できる視野の広い人間に成長できるよう
・教育と文化交流ができる
・国際語と言える英語を母語とし治安のいい都市であること
・人口が美濃加茂市と同規模
・時差が少ない
以上の内容で探したところ、ダボ市(現在のダボリージョン)が最適と判断され、昭和63年(1988年)12月に、ダボ市(現在のダボリージョン)へ調査団を派遣しました。
その後、両市の意見交換や協議を経て、平成元年6月2日に姉妹都市提携の調印がなされました。
ダボリージョンの概要
オーストラリア・ニューサウスウェールズ州。シドニーから内陸北西方向に約400km。名古屋からケアンズ経由でシドニーへ入り、国内線の飛行機で約45分。
1840年代初期にフランス人がマッコリー川の東岸に住み着き、雑貨店を開いたことから、ダボの町が誕生し1966年にダボ市となった。
2016年に隣接するウエリント ン市と合併し、ダボリージョ ンとなった。
「ダボ」とは原住民アボリジニーの言葉で「赤い土」を意味する。
姉妹都市交流の動画を制作しましたので、こちらもぜひご覧ください。
中・高校生ダボ派遣事業
派遣の始まり
美濃加茂市では、平成2年からダボリージョンへの中・高校生の青少年派遣が始まりました。
この派遣では、ホームステイでオーストラリアの生活を体験したり教育や文化を学んだりします。
また、戦時中に日本人捕虜がいたオーストラリア東南部にる日本人捕虜収容所跡地などにも足を運び、過去の戦争についても学びます。
再開した派遣事業
こうした背景もあり、平成2年からこれまでに280人もの中高生を派遣してきましたが、2020年以降は、新型コロナウイルス感染症の影響により、派遣事業を中断していました。
新型コロナウイルスが5類に移行されたことで、多くの制限が緩和されたことから、今回、4年ぶりの派遣事業の再開が決定しました!
※今年度の募集は終了しています。ぜひ次回の参考にしてください
派遣団の紹介
派遣について
今回の派遣団は、中学生5人、高校生5人、引率2人の12人で構成。
7月27日(木)から8月8日(火)までの13日間の日程で、ダボリージョンでのホームステイや現地生活を通して、海外の生活や文化、習慣を学びます。
きっと彼らは、派遣への応募からさまざまな思いを抱いていたでしょう。
実際に、中高生らの口からは「この機会に自分を変えたい」「英語の力をもっと伸ばしたい」「グローバル化に力を入れたい」「海外の友達を作りたい」などを市役所で語ってくれました。
板頭 芳樹会長(NPO法人 美濃加茂国際交流協会(市が本事業を委託する団体))は、「海外の生活や文化を知ることは、貴重な経験であり財産になる。それと同時に、新しい自分を演じることができるチャンス。積極的に交流してもらいたい。」と語りました。
そんな彼らが実際に世界へ飛び立ち、彼らの目に姉妹都市がどう映るのか。また派遣を経てどんな成長を遂げてくるのか楽しみですね。
派遣団「副団長T」について
今回、派遣事業の始めての取り組みとして、姉妹都市ダボリージョンの“今”を皆さんにお知らせするため、副団長Tが現地での様子をnoteやInstagramなどを通じてその魅力や文化、活動の様子などを発信することを決定しました。
もちろん、中高生の引率も大切な業務の一つですので、その合間に発信します。
派遣事業や姉妹都市ダボリージョンについて、より身近に感じていただけるよう、情報をシリーズで発信していきますので、ぜひお楽しみに!